西日本

長崎県のディープスポット!?池島炭鉱体験のススメ

長崎の観光地というと、皆さんはどのようなスポットを思い浮かべるでしょうか?

グラバー園、眼鏡橋、大浦天主堂、平和公園…。

佐世保にある日本一広いテーマパーク、ハウステンボスを挙げる方も多いかも知れませんね。

これらよく知られたスポットも、訪れた人々に感動を与えてくれる素晴らしい観光地です。

しかし長崎には知る人ぞ知るディープな観光地が、実は他にもあるのです!

今回はその中の一つ「池島」をピックアップして、島の魅力を存分にお伝えしたいと思います。

日本の近代化を支えた「池島」ってどんな場所?

幕末から明治期にかけてのわずか半世紀で、急速な産業化を果たした日本。

この産業革命は、鋳鉄技術の模索や洋式船の模倣といった長崎に入ってくる蘭書を基に始まっており、西洋の知識と技術導入の窓口として機能した長崎のまちには、今も数多くの産業革命遺産があります。

岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶ海底炭坑の島「軍艦島」などは、2015年に世界文化遺産としても正式登録されたので、興味を持たれている方も多いのではないでしょうか?

私は登録よりも前、まだ上陸ツアーがなかったころにすぐ近くの海上から島を眺めたことがありますが、それでもスケールの大きさに圧倒されました。

今は実際に島へ上陸し、主力坑だった第2竪坑跡や、端島炭坑の中枢であったレンガ造りの総合事務所、1916年に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造の7階建て30号アパートなどを間近で見ることができますから、感動もひとしおでしょう。

ただし軍艦島で入ることができるのは、あくまでも見学通路の部分のみ。

一方でご紹介する「池島」においては、島の奥にまで歩を進めながら、かつての炭鉱を“体験”することができるのです!

さて池島は、軍艦島と同じ長崎県にある炭鉱で栄えた島であり、“九州最後の炭鉱”として平成13年に閉山しました。

周囲4kmの小さな離島ながら、1959年から閉山までの約半世紀にわたって高品質の石炭を出炭し、日本のエネルギー産業を支えた池島。

最盛期は8000人近い人口だったといいますが、近年は高齢者を中心に、100人強程の人々が暮らすばかりです。

そういったわけで池島には多くの廃墟が存在するのですが、かつての繁栄を偲ばせる巨大で個性的な建物の数々を、間近で見ることができるツアーがあるのです!

さらに同ツアーでは、日本初の“炭鉱体験”が楽しめるというから堪りません。

もともと炭坑や炭鉱アパート群が大好きな私は、早速ツアーへの参加を決めました。

リアルな炭鉱体験が感動を与えてくれる!

池島の見学は、長崎の良さを“まち歩き”を通じて味わおうという試み「長崎さるく」を通じて行うことができます。

ちなみに“さるく”とは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁であり、長崎ならではの歴史・文化・歳時記を味わう“まち体験”こそが、長崎さるくの醍醐味ですね^^

さて池島炭鉱体験ツアー「池島炭鉱さるく」に参加すべく、一路池島へ。

池島にアクセスする手段は幾つかあり、神浦港から池島港までフェリーが1日1往復、高速船が1日1往復、地域交通船「進栄丸」(乗客定員12名。運休日あり)が1日5往復運行しているほか、西海市瀬戸港からフェリーが1日6往復、高速船が1日1便運行中です。

神浦港や瀬戸港へは、JR長崎駅から長崎バスを利用してたどり着くことができますが、私はマイカーで向かいました。

フェリーに揺られて、いよいよ池島に到着!

港から見える街の風景にも独特な趣があり、ゲーム「SIREN2」のビジュアルが頭をよぎります。

まずは「池島開発総合センター」という建物に向かい、池島炭鉱についての説明を伺った後、坑内へ入るためのキャンプライトやヘルメットを装着。

昔懐かしいアルミのお弁当箱に詰められた「池島炭鉱弁当」もいただいて、炭鉱夫気分は盛り上がるばかりです。

ちなみに島内で飲食物等を調達することは難しいので、こちらのお弁当を予約するなど、必要なものはあらかじめ準備・持参しておきましょう。

腹ごしらえも済んだところで、元炭鉱マンというガイドさんの指示に従いながら、実際に使用されていたトロッコ電車に乗り込み坑内へ!

およそ1時間を掛けて、石炭採掘復元場所を見学していきます。

坑内に入るだけでスケールの大きさや雰囲気に圧倒されてしまいますが、実際に巨大堀進機ロードヘッターが動く様子を確認したり、レプリカのダイナマイトを使った発破模擬操作が披露されたりと、得難い体験が続きます。

また救急センター跡を見学するなどして、当時の炭坑の様子をリアルに、肌で感じ取ることができました。

私は志願して穿孔機の操作も体験させてもらい、良い思い出になりましたよ^^

なお、このような坑内探検ができるのは、国内でもここ池島だけだそうです。

実際は、坑道総延長約90kmの巨大海底炭鉱。

九州で最後まで残った炭鉱「池島炭鉱」を、まさに“体験”することができる、素晴らしいツアーでした。

…と、ここで「池島炭鉱さるく」は終了なのですが、私は午前中の坑内体験利用者のうち島内に点在する炭鉱施設を巡る「坑外見学」コースも併せて申し込んでいたため(池島炭鉱さるくはコース内容共通で、午前・午後の1日2回実施されています)、引き続きガイドさんと共に、今度は池島の町を歩きます。

建物の前から見ると8階なのに、後方に行くと4階に見える巨大なアパートなどは、堂々たる作りで見学者を迎えてくれますが、もちろん住民の気配はありません。

その他のアパート群も朽ち果てるほどには痛んでいないのに、すっかり草木に覆われており、美しい空・海の青色とのコントラストが、物悲しい雰囲気を醸し出しながら胸に迫ってきました。

なお建物内の一室は当時の様子を再現した公開住宅として、中へ入れるようになっています。

そこは“昭和”を感じられる空間でありながら、今でも十分に生活することができそうで、不思議な感覚が沸き上がりましたね。

中の備品がそのまま残った飲み屋街の店舗も、つい先ほどまで人々が行き来していたのでは?というほどに建物の原型を留めているものの、やはり壁を覆った蔦が、月日の経過を教えてくれます。

本当に、人だけがサッと消え失せてしまったような、何とも言えない景色。

私は特段廃墟マニアというわけでもないのですが、それでも心を揺さぶられました。

団地マニアの人にとっても、堪らないのではないでしょうか。

住居だけではなく、工場跡も素晴らしかったですね。

ちなみに私は島全体をざっと歩いてみて何となく、つげ義春さんの「ねじ式」の世界に迷い込んでしまったような錯覚を覚えました。

まるで、夢の中に入り込んでしまったような…。

ただし池島に存在する物は全てが“リアル”であり、だからこそ訪れる者の心を強く引き付けて離さないのです。

池島の旅が余りにも素晴らしかったため、帰ってから色々な人に強くお勧めしてみたのですが、反応を見ると、意外にもその存在すら知らないという方が多い様子でした。

軍艦島がかなり有名になったので、同じような歴史をたどった池島の注目度も、もっともっとアップして良いと思うのですが…。

とはいえ、ある意味で“朽ちていく姿”が美しいこれらの遺産は、どこまで保存に手を掛けるのか、どういったかたちで未来に伝えていくのか、難しい部分もあるでしょう。

しかし私自身はシンプルに、その時代を生きていなくてもどこか懐かしい昭和の面影が、少しでも長く次の時代に残り続けてくれれば良いなと願っているのです。