西日本

電車に揺られ、世界遺産・姫路城を訪ねよう!

新幹線の車窓から見掛けるたびに、いつか訪れてみたいと考えていた世界遺産「姫路城」

せっかくならばその周辺や、道中にある見どころも一気に観光したいと考えて、いつものようにバッチリ下調べをし、姫路を目指すことになりました。

旅の始まりは、神戸三宮。

ここから電車に揺られて途中下車の旅も堪能しつつ、最終的には姫路城と「書寫山圓教寺」を訪れる予定です。

かなり詰め込んだスケジュールながら、一日で全ての目的地を回ることはできるのか…?

その当時の旅行記に、是非お付き合いください。

数々の史跡と書寫山圓教寺へ

日本史や古典が大好きな私にとっては、三宮から姫路に至るまでの道のりも、数々の魅力的なスポットで溢れています。

こと古墳や源氏物語・平家物語に関する史跡は、見逃すわけにいきません。

まず訪れたのは、一般的には「須磨寺」の名で呼ばれている福祥寺。

“源平ゆかりのお寺”としても知られるこちらのお寺には、平敦盛遺愛の「青葉の笛」をはじめ、弁慶の鐘や敦盛首塚などが伝わっています。

また須磨は源氏物語にて京を追われた光源氏が逃れてきた場所でもあり、須磨寺境内には、光源氏が手植したという若木の桜が残されていますね。

更に姫路方面へ進んだ垂水には、4世紀後半に築かれた兵庫県下最大の前方後円墳「五色塚古墳」が。

築造当時の姿に復元された“千壺古墳”とも呼ばれるこちらの古墳からは、淡路島や明石海峡大橋を一望することができます。

その眺めは抜群で、個人的に五色塚古墳のロケーションは数ある古墳の中でも日本一ではないかと考えているほどです(笑)

ドライブなどの際にも是非立ち寄っていただきたい、気持ちの良いスポットですね。

ほどなくして到着する明石の地も、源氏物語に縁の深い場所。

ここでは光源氏が月見をした寺と言われる「無量光寺」を訪ね、境内にある「源氏稲荷」や、光源氏が明石の上の住む“岡辺の館”へ妻問うときに通ったとされる山門前の「蔦の細道」を見学し、古典の世界の魅力に浸ることができました。

さてそんな塩梅で散々寄り道をしながら、やっと姫路に到着。

まずは、「書寫山圓教寺(しょしゃざんえんきょうじ)」に足を運びます。

標高371mの書写山山上に位置する圓教寺は、966年に性空上人(しょうくうしょうにん)によって開かれた、天台宗の古寺です。

西国三十三霊場の第二十七番札所として知られる圓教寺は“西の比叡山”とも称されますが、実際に訪れてスケールの大きさに圧倒され、「単純なお寺としての大きさなら、比叡山を凌ぐのでは?」と感じたことを覚えています。

映画「ラストサムライ」やNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の撮影地にも選ばれたため、観る者を圧倒するほどの佇まいであることは間違いありません。

ちなみに圓教寺へのアクセスですが、JR・山陽電鉄姫路駅に到着後、まずは神姫バス「書写ロープウェイ行」に乗って終点下車(約30分)し、そこからロープウェイの「山上駅」を目指します(約4分)。

ロープウェイを降りて、やっと到着!…といきたいところですが、ここから境内の「摩尼殿」まで更に20~30分程歩くので、時間には十分余裕を持っておきましょう。

正直、山上駅からの道のりがこれほど長いとは思っていませんでした^^;

それは他の観光客の皆さんも同じらしく、帰りがけにご年配の方を連れたご家族とすれ違った際には、「もうすぐ、着きますよね?」と中々しんどそうな面持ちで質問されました。

しかしその地点は全体の1/3にも至っていないほどの場所だったので、「いや、ここからまだかなり距離がありますよ…」とお伝えした次第です。

山道を進んでいく体力と気力も、ある程度は必要になりますね。

とはいえ長い道のりを経てたどり着く摩尼殿や、重要文化財である「大講堂」「食堂(じきどう)」などは、一見の価値あり!

その荘厳さと周囲に漂う凛とした空気に、圧倒されてしまいます。

姫路と言えばやはり姫路城を思い浮かべる方が多いでしょうが、この書寫山圓教寺も、大変に見ごたえのある名所ですよ^^

念願の姫路城に到着!

さて圓教寺を後にした私は、そもそも当初の目的地であった姫路城へ…向かったのですが、さすがに寄り道の時間が長すぎて、到着と同時に開城時間が終了してしまいました!

高野山に行った際にも、その道すがらにある仁徳天皇陵と百舌鳥古墳群の見学に時間を取られ、結局高野山には後日リベンジすることとなったのですが、全く同じパターンですね。

というわけでしばらくののち、姫路城には改めて足を運びました。

改めて概要を押さえますと、「姫路城」は1333年に赤松則村(円心)が姫山の地に初めて砦を築いて以降、羽柴秀吉・池田輝政・本多忠政らが城に夢を託して拡張し、1617年に現在の全容が整いました。

青空に映えるその姿は水から飛び立つ白鷺に例えられ、別名“白鷺城”とも呼ばれていますね^^

国宝として長らく人々に愛されてきた姫路城ですが、“その美的完成度が国内のみならず世界的にも他に類のない優れたものであること”や“土木建築物が良好に保存され、防御に工夫した日本独自の城郭の構造を最もよく示した城であること”などが評価され、1993年には日本で初めての世界文化遺産に。

海外から訪れる人々の間でも、根強い人気を誇っています。

新幹線の車窓からではなく、すぐ近くでまじまじと見つめてみても、確かに姫路城の美しさには目を見張るものがありますね。

また防御に工夫を凝らすなど、非常に機能的でありながらも優美なたたずまいを保っており、見学中の頭の中には“機能美”というワードが浮かんできました。

そういう意味で姫路城は、工場マニアの方などにも魅力の伝わりやすいスポットかも知れません。

完全に、私見ではありますが^^;

ちなみに姫路城内には、井戸に現れる女の亡霊・お菊が「いちまぁ~い…、にまぁ~い…」と皿を数えるエピソードで知られる、“皿屋敷伝説”に絡んだ「お菊井戸」も残されていますよ。

お菊という女中が主人の皿を割り激しく叱責され、屋敷内の井戸に身投げして死んでしまって以降、夜な夜な皿を数える恐ろしい声が屋敷中に響き渡るようになり…という筋書きの怪談話に登場する、いわく付きの井戸ですね。

しかしその怪談は江戸の町が舞台だったのでは?と不思議に思って調べたところ、江戸番町が舞台の「番町(ばんちょう)皿屋敷」と、播州姫路が舞台の「播州(ばんしゅう)皿屋敷」が特に有名なものとして知られるほか、皿屋敷伝説の類話は日本各地に見られるのだとか。

こうなってくると、様々な異聞の真偽については知る由もありませんが、番町皿屋敷は姫路城の話をベースにしているとの見方もできるらしく、非常に興味をそそられます。

いずれにせよ“井戸”そのものに余り馴染みがない一方、井戸にまつわる怖い話は幾つか知っているため、何とも不気味なものを感じながらお菊井戸を覗き込んだのでした。

無事に姫路城の魅力も堪能することができ、2回にわたった姫路を巡る旅は、大満足の内に幕を閉じました。

なお姫路城は平成27年に大天守の保存修理を終え、その特徴である白漆喰総塗籠の輝くように真っ白な姿は、観る者に更なる鮮烈な印象を与えています。

正直、修理直後には「白過ぎでは…?」との印象を抱いてしまいましたが(笑)、それも馴染んできて、やはり見入るほどに美しい城だと惚れ惚れしてしまいますね^^

現在はAR技術(拡張現実)を活用した見学ツールを導入するなど、子どもも楽しめるような展示も実施されているようですし、その他の観光スポットと共に、姫路城を訪れてみてはいかがでしょうか?