以前の記事でタイ旅行にハマる友人が多いと記しましたが、「ドイツ」が好きという話もよく耳にします。
タイに関しては旅行で訪れて一気に惹き付けられたというパターンが多い一方、ドイツを推す友人たちはたいてい“ドイツという国自体に以前から興味があった”と語っていますね。
確かにドイツについていろいろ知っていくと、長い歴史における日本との関係性や国民の気質、現在の国の在りようなどについて、共感や親近感を抱く日本人は少なくないかも知れません。
かくいう私も一度は足を運び、同国のことをもっと深く知りたいと願っていました。
そこで中欧諸国を巡る旅の終着地に、ドイツを選んだのです。
いざ、ドイツへ入国!
今回の旅では隣国から陸路にて、ドイツに向かいました。
入国した途端、明らかに道路が整い幅も広くなると同時に、店に並ぶものの量・種類が豊富になって、驚かされます。
ここで改めて概要を押さえておきますと、ドイツはEU加盟国で最大の人口を有し、GDP=国内総生産もアメリカ・中国・日本に次いで世界第4位を誇る、ヨーロッパ大陸における経済的及び政治的な主要国です。
現在は16の連邦州から構成されていますが、長いドイツの歴史においては、その倍以上に上る多くの王国・公国・小領邦君主領が興っては消えていきました。
それゆえ同国には、歴史の奥深さを感じさせる多様な観光名所が幾つも存在します。
北海とバルト海に沿って長く伸びる海岸線、ヨーロッパ大陸を貫く大河、雪を頂くアルプスの山々など、風土・景観も変化に富んだもの。
世界最大となるビールの祭典オクトーバーフェストや、光り輝くクリスマスマーケットなど、一度は訪れたい楽しいイベントも盛りだくさんです!
なお多くの方はフランクフルトからロマンチック街道に至り、シンデレラ城のモデルとされるルートヴィヒ2世が建てた白鳥の城「ノイシュヴァンシュタイン」などを訪れるのでしょうが、私の場合は首都・ベルリンに足を運びました。
さて、私を乗せたバスはベルリンの街中へ。
多くの人々が行き交う通りは、エネルギッシュな魅力にあふれています。
ふと信号機に目をやると、そこにはキュートなフォルムのキャラクターが。
彼の名は「アンペルマン」といい、数々のグッズが展開されるほどの人気者と言います。
活気ある街並みにモダンなビルが連なる一方で、歴史を感じさせる建造物がそこここに点在しているというのも、ベルリンの特色でしょう。
荘厳な姿をみせる教会の前に差し掛かった際には、ベルリンが登場する森鴎外の小説「舞姫」のことが連想されて、豊太郎とエリスはこのような景色の中で出会ったのかと、しばし感慨に浸ってしまいましたね。
なお舞姫はパッと見て、その文体にとっつきにくさを感じる方が多いようですが、実際に読み始めるとスラスラ読み進めることができますし、内容は中々にドロドロしているものの(笑)、面白い作品です。
まだ読んでいないという方は、是非手に取ってみてください。
ベルリンの見どころを巡る
ベルリンでまず訪れたのは、「イーストサイドギャラリー」。
ベルリンの壁が崩壊した1989年11月の1か月後にアーティストたちが集い、ミューレン通りの壁に絵を描き始めて作り上げた、21か国・118人もの人々の手による“壁画”です。
ヴァルシャウアー・シュトラーセ駅近くまで約1.3kmも続くこちらの壁画は、あくまでも一時的な試みで、当初は壁とともに撤去される予定であったものの、知名度が高まるにつれて保存を求める運動が起こり、“イーストサイドギャラリー”の名で残されることが決まりました。
2000年と2009年には修復も施されている、ベルリンの観光スポットですね。
数ある作品の中で一番印象に残ったのは、東ドイツの指導者ホーネッカーとソ連のレオニード・ブレジネフ書記長が熱いキスを交わす姿を描き出す、「神よ、この恐ろしい愛から生き延びさせてください」と名付けられた壁画。
この地が歩んだ激動の歴史に思いを馳せながら、しばし見入ってしまいます。
ちなみにベルリンの壁に関しては、子どもの頃に“壁の破片が販売されている”との情報を入手してずっと欲しかったのですが、一応それらしきものを買い求めることができました。
続いては、「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」…通称「ホロコースト記念碑」へ。
その名のとおり、ホロコースト時代に命を失った何百万というユダヤ人犠牲者を鎮魂するために建てられた記念碑です。
この地で目にしたのは、数えきれないほど大量にそびえるコンクリート製の石碑。
何でも約2ヘクタールもの広大な敷地内に、約3000枚の石碑が立てられていると言います。
特別な空気に抱かれながら、無機質に並ぶ石碑の間を縫うようにして歩いていくと、何とも言えない感情に。
歴史の重みが実体を伴いのしかかってくるようで、打ちのめされました。
その後は、ドイツ及びベルリンを取り巻く様々な歴史の証人となってきた「ブランデンブルク門」へ。
高さ26m・幅 65.5m・奥行き11mに及ぶこちらの巨大な門は、古代ギリシャ風の古典主義様式で建設されており、12の柱から成ります。
門の上に立つ「4頭馬車と勝利の女神ヴィクトリアの像」の堂々たる風格が印象的で、特に関連の知識を持ち合わせていなかったとしても、誰もが目を奪われることでしょう。
1788~91年にプロイセン王国の凱旋門として建設された、ブランデンブルク門。
1806年にプロイセンがナポレオンとの戦いに敗れた際は門上の像が奪われたものの、1814年にはそのナポレオンに勝利して、像は再びベルリンに戻ってきました。
第二次世界大戦では大きな被害を受け、東ドイツ時代にはアクセス禁止エリアとなりましたが、東西ドイツ統一後に大修復工事が展開され、2002年10月3日…統一12周年の日に再びオープンし、現在にいたります。
改めてまとめてみると、本当につい最近まで、ベルリンの地が波乱の歴史に翻弄されていたことが伺えますね。
その分、現在の門は“平和と統一の象徴”として多くの人々を迎え入れているように思われ、胸がいっぱいになります。
ちなみに門を抜けた場所では、半裸の男性が何かメッセージ性の強そうなパフォーマンスを披露しており、その姿が衝撃的だったことを今も覚えています。
そのような具合で、周遊旅行の途中に一番の見どころだけをかいつまんで巡った感は否めませんが、いろいろと考えさせられることも多いドイツ・ベルリンの旅でした。
長い旅行中、ベルリンを訪れたときだけ天候に恵まれず、めちゃくちゃ寒かったことまで昨日のことのように思い出しますね^^;
ベルリンの空港から日本を目指す飛行機に乗り込む少し前には、バラマキ土産も買い込みました。
大量にゲットしたのは、100年以上の歴史を持つグミキャンディで、ヨーロッパでは知らない人がいないといわれるほど、子どもから大人にまで浸透している「ハリボー(HARIBO)」。
クマ型のグミは日本でもお馴染みですが、見たことがなかった可愛いパッケージのハリボーを発見したのです。
他には、ドイツにおいて幸運のシンボルとされている“豚”をモチーフにした小さな置物、その名も「幸運の豚(Glucksschwein)」を。
私がゲットしたのは、豚の背中にコインが刺さったタイプです。
ちなみに幸運の豚は今も、部屋の棚の上に鎮座していますね(笑)
この豚さんに願いを込めれば、またいつか、再びドイツを訪れることも叶うでしょうか?