ヨーロッパ・アメリカ

芸術の都!オーストリアの首都・ウィーンへ

古くよりヨーロッパの東西と南部を結ぶ十字路として機能を果たし、二千年の歴史に育まれてきたオーストリアの首都・ウィーン

その歴史的な中心地はヨーロッパの中でも、古い街並みが最も良く保存された旧市街の一つに数えられています。

ハプスブルク王朝の帝都であったウィーンには、今も多種多様な美術館や博物館がズラリ。

旧市街とその周辺に多く見られる教会や宮殿、美しい庭園の数々とともに、王朝時代の息吹を今日に伝え、訪れる観光客を魅了していますね。

皇帝お抱えの楽隊からモーツァルトを経てシュトラウス一家に至る音楽の伝統も、ウィーンの歴史とは切り離せないもの。

そんな芸術の都・ウィーンの魅力について、自身が訪れた際の体験談も交えながら、お伝えしたいと思います。

夢のような街並みに心を奪われる!

私の場合、ウィーンにはカタールを経由して向かいました。

まずは国内を移動し、伊丹空港に到着すると、今度は関西国際空港にてカタール航空に搭乗。

ちなみにカタール航空は利用客の投票によって選ばれた「エアライン・オブ・ザ・イヤー」を5度も受賞し、スカイトラックス史上初の快挙を成し遂げたほか、「ワールド・ベスト・ビジネスクラス」「ベスト・ビジネスクラス・シート」「中東ベスト・エアライン」にも輝くなど、高い評価を受けています。

実際に乗り心地は上々で、長い空の旅も快適に過ごすことができました。

やがて飛行機は、アラビア湾の中央に突き出した半島・カタールに到着。

その首都は、1993年に行われた日本代表対イラク代表によるサッカーの国際試合の通称“ドーハの悲劇”でよく知られるドーハです。

近年のドーハは観光への取組に注力しており、観光施設の整備が進められ、高級ホテルやショッピングセンターなども次々とオープンしているのだとか。

割と時間があったので空港の外をまじまじと眺めていたのですが、なるほど多くの高層ビルが遠くにそびえたち、テレビでよく見るドバイの風景を彷彿とさせました。

ここカタールにも、機会があれば是非降り立ってみたいですね。

あとはくしゃみをした際、横にいた現地の方と思しき男性がサッとティッシュを差し出してくれたことが、何気に衝撃で感動しました。

…と、散々前置きが長くなりましたが、家を出てほぼ24時間後にウィーンへ到着。

実を言うと私にとって、ヨーロッパに来るのはこれが初となります。

街並みを見てまず抱いた感想が、「リアル・ハウステンボスだ!」ということ(笑)

本当に街全体がテーマパークのように美しく、キラキラと輝いて見えるのです。

日本とは全く外観の異なる建物もさることながら、街をこなれた様子で歩くオシャレでキュートな女性たちや、ショーウインドーに置かれたカラフルなお菓子の数々も、トキメキを与えてくれます。

私は日本の文化が大好きだし、どちらかと言えば西洋よりも東洋に心惹かれるタイプの人間だと分析していましたが、やはり華やかな西洋の文化も良いものですね。

すっかり舞い上がってしまい、何枚も写真をパシャパシャと…。

何気なく切り取った風景が、どれも絵葉書のように見えて、まさに“画になる”街だと感じます。

この記事を執筆するに当たり調べてみたところ、ウィーンは「2020年 世界で最も緑の多い都市ベスト10」ランキングで第一位を受賞するほど、緑が豊かな都市でもあるそうです。

長い歴史に育まれながら、先進的な空気をも醸し出しており、非常に都会的であると同時に、多くの緑をたたえているー。

世界中の人々がこの地を“芸術の都”とたたえ、また憧れて止まない理由を、肌で感じ取ることができました。

この旅行を経てヨーロッパに魅了され、以降も幾つかの国を訪れることになった私。

それぞれの国で非常に美しい景観と出会うことができますが、やはり初のヨーロッパという点で、ウィーンの旅は衝撃を与えてくれました。

美しいウィーンの宮殿を訪ねる

さてウィーン滞在中は、2つの宮殿を訪れました。

一つ目は、帝国軍の総司令官を務めた不世出の軍事的天才として知られるサヴォイ家のオイゲン公が、建築家ヨハン=ルーカス・フォン・ヒルデブラントに設計を委嘱したという夏の離宮「ベルヴェデーレ宮殿」

ベルヴェデーレ宮殿は建物自体がバロック建築の傑作・バロックの総合芸術であると同時に、現在ではギャラリーとして、中世から現代に至るオーストリアの美術作品を紹介しています。

数あるコレクションの中でも特に有名なのは、何と言ってもグスタフ・クリムトが描いた世界中に知られる名作「接吻」でしょう。

画家自身とその恋人であるエミーリエ・フレーゲがモデルとされる接吻は、日本でも人気の高い作品ですよね^^

2つ目に足を運んだのは、ヨーロッパに君臨し続けたハプスブルク家が、かのヴェルサイユ宮殿を凌駕せんとして建てたという夏の離宮「シェーンブルン宮殿」

17世紀末にレオポルト1世が、バロック建築の巨匠フィッシャー・フォン・エルラッハに命じて建設を開始しました。

資金難のために工事は一時中断するも、孫の女帝マリア・テレジアによって内装は優美なロココ様式で統一され、両翼の端から端まで約180mもある現在の威容に生まれ変わったのだとか。

様々な歴史の舞台になった幾つもの部屋を巡りながら、名門ハプスブルク家の威光を偲びます。

マリア・テレジアが過ごしたほか、フランツ・ヨーゼフ皇帝やエリザベート皇妃も滞在し、6歳の神童モーツァルトが見事な演奏を披露して、7歳のマリー・アントワネットが転んだ彼に手を差し伸べたという逸話も残る、こちらの宮殿。

歴史的重要性もさることながら、その豪華な内装が訪れる者の目を奪います。

また数々の泉水や彫像で彩られ、丘の上に佇むグロリエッテ(“小さな部屋”という意味で、宮殿の庭園のうち、周囲よりも高くなった位置に建てられる建物のこと)を望むことができるバロック庭園も、本当に素晴らしいと感じました。

“庭”という点で比較すると、あくまでも自然の風景を再現せんとする日本のものとは全く趣が違っていて、整然とした配置と華麗な景観に、思わず見入ってしまいますね。

なお余談になりますが、フランスにあるヴェルサイユ宮殿の離宮プチ・トリアノンに絡んでは、その地を訪問したイングランドの名門学校の教師たちが庭園などにおいて“タイムスリップ”を体験し、マリー・アントワネット及び同時代の宮殿関係者を見掛けたという何とも不思議なエピソードが存在します。

この事件は「トリアノンの幽霊」と呼ばれ、オカルト史上最も有名且つ物議を醸した一件として知られていますね。

この件の真偽は別にしても、確かにこのような宮殿を訪れてみると、建物の端々から当時の人々の“息遣い”のようなものが感じ取れる気はします。

かつて歴史上の人物たちもここに立ち、同じ景色を眺めていたのかと思うと、感慨もひとしおでした。

そういったわけで初めてのヨーロッパ旅行は、日本との文化の違いに驚かされつつ、様々な感動を呼び起こしてくれる素敵なものとなりました^^

歴史好きとして、世界史の舞台となった場所も堪能することができ、大満足です!

なお私はこの後、ハンガリーなどの中欧諸国を幾つか巡って帰路に就いたのですが、隣接していながらそれぞれの国に特色があり、その一つひとつがとても魅力的で、心をふるわせてくれましたね。

そのあたりのお話も、またの機会にまとめることができればと考えています。